Katze770のLABO

気になったことを自分なりに書いてみるブログ兼実験室です。

コロナ禍で浮き彫りになった老若の批判の応酬

現在(2021年(令和三年)1月)はコロナが日本で出てからほぼ一年。私はたまにスタバに行くことがあるが、一人なので声を発するといえば注文する時くらいしかない。顔をフェイスカバーで覆っているため、私が感染源になることはほぼないと思うけれど、なんとも言い切れない。なるのは勿論怖い。

 

他の席では結構大きめの声で話している者がいるのをよく見かける。声からすると若めかな?

こういう者がいるせいで若者=危険となってしまうわけだ。私自身そんなに上の年齢でもないので、一緒にされるとたまったものじゃない。

 

老害“というスラングが流行っているが、“ガキ“や“若害“はさほど聞かれない。高齢化がさらに進むと後者の言葉が流行る恐れもある。私の勝手な思いですが。

 

例の政治家はよく老害と呼ばれているけれど、仮に自身の親や祖父母を他人から老害と呼ばれるのは良い気がしない。年長支配という弱点が浮き彫りになっているのは変だなと思う。

 

老害扱いされないためにも“自身の頭を常にアップデート“することは欠かせない。

私には歳の離れた弟がいて、人間は九年早く産まれるか遅く産まれるのかこの差だけでもすごいものだ。例を簡単には言い表せないが、弟の方がグローバルな考えを持っている気がする。私は特定の国だけ。恐らく、彼が通っている大学がそういう方向性なのだろう。

 

私はまもなく三十路入りだ。世の中にはおかしな人もいるけれど、素晴らしい人はもっと多い。だからこそ日本は凄いと感じる。

 

 

主に雑感というものでしょうか。今回はこれまで。

ごきげんよう