Katze770のLABO

気になったことを自分なりに書いてみるブログ兼実験室です。

カバン

こんにちは

 

昨年12月、地元のイオンで1,100円という爆安でカバンを手に入れてから1ヶ月以上経過しました。買った当時はブラックフライデーだったこと、在庫処分が重なって1,100円というありえない値段になったかと思われます。元々は5,000円相当だったようです。

 

使い勝手は文句のつけようがないほど素晴らしいものとなっており、かつ、デザインは無難なのでどなたでも何にでも使えます。紺色なので夜間は反射材を貼った方が良いでしょう。現在までかなりハードに扱ってきましたが、全く壊れる気配はありません。私なら10,000円払っても良いくらいです。

 

人生で大量のカバンを買ってきた私ですが、コストパフォーマンスが高いカバンを探すのは至難の業です。自動車を持っていないこと、多くの電子機器を持ち運ぶ私にはデザイン云々よりも強靭さが重要なのです。そして“安さ“

 

皆さんも地元のショッピングモールを見て回ってみてはいかがでしょうか?

それではまた

精神科は本当に万能なのか

こんにちは

 

“己を知る“ということはどうしてこんなにも難しいことなのか?

精神的不調について何年にもわたって考えてきたけれど、なかなか結論に辿り着かなくて困っている次第です。“気分障害“なる病気があるとネットで見たことがある。他でも何度も言ったが、2015年に“うつ状態“と診断された。2018年には“適応障害“も加わった。

 

私としては本当に投薬治療だけで良いものなのかと考えてしまう。そろそろセカンドオピニオン制度を活用しないといけないのかもしれない。大まかには住んでいる街に対する嫌悪感とお金の問題がある。

ここだけの話、相談先と精神科医が頼りない(笑)

やはり他力本願ではいけないと考える。それにしても難しい・・・

 

 

精神科といえば近年、やたらよくあの名前が飛び交っている。“発達障害“。何故? わざわざ診断された人々を全員“障害扱い“する必要あるのか? それほど困っていなければ“障害扱い“しなくても良いのでは?

 

大物が実は発達障害だったという事例はたまにあるようだ。けれど、大物になれたのなら尚更“精神障害者“という扱い方は失礼ではないか? 発達障害ブームとビジネスが蔓延っている気がしてならない。

セクシャルマイノリティにしても同様の盛り上がりがある。当事者と関係者はどう考えるのか? 当事者にも当然ながら人権は存在するので蔑ろにしてはならない。

 

以前から不満に思っていたことを記事にしてみました。どうでしょうか?

それではまた

コロナ禍で浮き彫りになった老若の批判の応酬

現在(2021年(令和三年)1月)はコロナが日本で出てからほぼ一年。私はたまにスタバに行くことがあるが、一人なので声を発するといえば注文する時くらいしかない。顔をフェイスカバーで覆っているため、私が感染源になることはほぼないと思うけれど、なんとも言い切れない。なるのは勿論怖い。

 

他の席では結構大きめの声で話している者がいるのをよく見かける。声からすると若めかな?

こういう者がいるせいで若者=危険となってしまうわけだ。私自身そんなに上の年齢でもないので、一緒にされるとたまったものじゃない。

 

老害“というスラングが流行っているが、“ガキ“や“若害“はさほど聞かれない。高齢化がさらに進むと後者の言葉が流行る恐れもある。私の勝手な思いですが。

 

例の政治家はよく老害と呼ばれているけれど、仮に自身の親や祖父母を他人から老害と呼ばれるのは良い気がしない。年長支配という弱点が浮き彫りになっているのは変だなと思う。

 

老害扱いされないためにも“自身の頭を常にアップデート“することは欠かせない。

私には歳の離れた弟がいて、人間は九年早く産まれるか遅く産まれるのかこの差だけでもすごいものだ。例を簡単には言い表せないが、弟の方がグローバルな考えを持っている気がする。私は特定の国だけ。恐らく、彼が通っている大学がそういう方向性なのだろう。

 

私はまもなく三十路入りだ。世の中にはおかしな人もいるけれど、素晴らしい人はもっと多い。だからこそ日本は凄いと感じる。

 

 

主に雑感というものでしょうか。今回はこれまで。

ごきげんよう

交通の自由か自動車優勢社会か

日本全国に道路が張り巡らされています。外出をするのに道路を使わないという方は殆どいらっしゃらないでしょう。道路は国民全員の大切な財産であるので独り占めは決して許されません。

 

私は自家用車を所持していないので、移動は主に自転車でします。自転車は本来、車道の左端を走ることになっていますが、車道を走行しただけで怒られる方もいるということを聞くと嫌な気持ちになります。

 

歩行者目線になりますと、歩道をただ歩いていただけで突然ベルを思いっきり鳴らされることも聞いたことがあります。実際に駅から目的地へ歩くと自転車にはねられないか不安になります。なぜかネット上にはこの手の情報があまり上がらない。

 

全世界、地球の文明に言えることですが、交通というものをバカにしている気がしてならないのは私が自家用車を持っていなくて、周りに対する僻みなのか? にしても人類の便利さを満たすこと、お金稼ぎなどなどのために多くの犠牲者が出ようとも“自家用車“というものを減らさないことに私は怒っています。私のような人間を極端な人間として変人扱いする輩までいます。このままではキャパシティを超えます。

 

皆さんは疋田智さんをご存知でしょうか? “自転車ツーキニスト“といえばこの方です。私は会社を辞めるまで自転車通勤をしていたことがあります。自転車という乗り物は案外速いです。しかしながら、その速さを活かしきれないことがあります。交通に関する法律というものは自動車ありきで作られているが故に、自転車の本領を発揮できない場合が多々あります。

 

自動車と自転車または歩行者と完全に分離できないか? 信号機を見ていると無駄に感じる機会がとても多いです。確かに自動車は自転車ほどすぐには止まれませんし、躯体も大きいために無闇に速く走らせると死亡事故が多発します。かえって自転車はどうでしょうか? 全方位視界を向けることが容易い。20km/hほどであれば自動車と比べて段違いに急に止まれる。それでも暴走兵器になることもあるので注意は欠かせない。

 

今後も疋田智さんのような方々が増えてくれることを祈る私であります。

それではまた

電力の逼迫か

こんにちは

 

皆さんは“電気“というと何を想像されますか?

考えることは十人十色さまざまでしょう。電気のおかげで現代文明が高度化したわけですが、連日、電力の使用が90%台の後半を記録していて果たして大丈夫か?と。

 

 

我が国は発電用の資源が乏しいために再生可能エネルギーが欠かせないということは中学生のときに学んだのではないでしょうか?

 

現在は日本の各地にメガソーラー発電所が造られましたが、それでも発電に占める割合は低いです。太陽光発電発電効率が悪いですし、梅雨や冬の日本海側ですと絶望的です。

 

風力発電は安定して風が吹き続けることを必要とします。YouTube風力発電の風車に暴風が吹きつけた時の動画があります。木っ端微塵です。かといって風が弱すぎてもダメです。それが風力発電です。

 

 

省エネとは言うが、まだまだ足りないのが実情です。そうなると原子力発電所を再稼働するかしないかの議論になります。

私としては原子力発電所について口出しはしません。

 

 

 

自転車はライトとサイクルコンピュータくらいにしか電気を使わないのでとても省エネですからみんなに乗って欲しいものです。

それではまた。

何故時代に遅れるニッポン!頑張れニッポン!

こんにちは

以前から私が若いからなのか? 経験不足なのか? 不思議に感じていたことがあります。この国は新しいことについて行きにくいということである。

 

高齢化社会との因果関係はわからないが、とにかく日本は新しいことが苦手すぎると身をもって感じる。あまり言いたくは無いがイライラの種だ。

 

  1. 電子機器
  2. 自転車
  3. マイクロモビリティ
  4. キャッシュレス

以上4つ挙げてみた。上2つは特段目新しくもなんとも思えないが、その二つでさえも残念なことに日本は遅れつつある。

 

 

まずは電子機器について考えてみた。

日本にもスマホタブレット、パソコンなどを販売するメーカーは存在する。しかしながら、従来の固定観念の強さを実感させられる事案が多くある。実にノートパソコンだ。海外ならAndroid搭載の2in1だったり、ChromeOS搭載のものが見られる。

 

日本は未だにWindows10から離れられない。スマホでもあるが、値段高い、動作微妙・・・ これでは海外勢に負けるのも無理ない。理由はあるだろうが、いい加減何とかならないものか?

 

 

自転車とマイクロモビリティについて

電動アシスト自転車は24km/hでアシストが切れる設計だとのことだが、ということは最高速度20km/hにして、尚且つ、加速度を電動アシスト自転車並にすれば、マイクロモビリティをわざわざ原動機付自転車という範疇にしなくても良いはず。

 

にもかかわらず、原付と同等の仕組みになっているのが不思議でならない。如何にも、政治家や関係者がお金を欲しいが為に改善が図られないかのように感じてしまうのは私だけではないはず。忖度か?

 

 

 

最後にキャッシュレスについて言及したい

私の知る限り、2003年(平成15年)頃に電子マネーが登場した。その際におサイフケータイが出たはず。私はまだ携帯電話を所持していなかったため、どういうものなのかは知らなかった。2008年(平成20年)に初めて交通系ICカードを手にした。2021(令和3年)1月10日現在ではAndroidスマートフォンにて交通系ICカードを利用している。

 

残念なことに、交通系ICカードは現在でも万能ではない。例えば、A店は駅前にあるので交通系ICカードは利用可能だが、B店は中心市街地と駅からも離れているために利用不可という事例を多く経験したために、現在はチャージ式のプリペイドカードをメインで利用している。プリペイドカードはクレジットカードのように使うことが可能であり、尚且つ、スマートフォンのシステムを使えば電子マネーやコード決済も可能である。

 

欲を言えば交通系ICカードにキャッシュレスを強化する仕組みを導入して欲しかった。

 

 

上記の私の嘆きを皆さんも考えてみてほしい。もし、携わっている方がこのブログを見ていたら参考にしてほしい。

これ以上書くととんでもない文字数になるので以上にします。

熟読ありがとうございました。

それではまた。

イケイケー!ニッポン!

年始雑記パート1

今さらですが、三が日はみなさん何をされていましたか?

私は眠ってばかりでしたが・・・

 

現代は。。。

個人店なら、お店を閉めようが閉めまいが自由ですが、チェーン店でなかなか閉めているお店は見かけませんね。

現代人は完璧を追求しすぎて余裕を無くしてきているのではと感じる日々です。本来であれば、年中無休だということは一部で良いはずなのに、少しでも不便を感じればそのお店は行く対象から外れてしまいます。ただでさえ人手不足なのに。

とはいえお金を稼ぐためにも開けないとやっていけないのも分かりますがね。

 

さて、現代的資本主義でこの先やっていけるのでしょうか? コロナ禍で浮き彫りになりました。私が先日書いたSDGsと現代的資本主義との相性

やはり調べてみると同様の考えのお持ちの方がいらっしゃるようです。

 

話が変わりますが、ブログを書いて評価してもらうだけで生きていければどれほど良いものでしょう?

もしかすると、今後、アメーバブログをやめてはてなブログだけでやっていくかもしれません。はてなブログやnoteは私のような人が表現をするのにうってつけのプラットフォームなのです。オールドメディアに代わって、世間の人々が再びブログでいろんな意見を出し合って、社会をより良い方向へ導いていければ最高ですね。

 

またまた話は変わって、ブログはタブレットで書くのが非常に便利です。スマホ社会ですが、フリック入力だけで長文を打っていくのは嫌です。。。 環境に応じて持っていくタブレットを変えています。今回はiPadです。前回はFire HD8とスマホです。

 

今年の本格始動です!

それではまた